当社の歴史は約半世紀に及びます。経済・景気の動向には一定の周期が存在します。「危機」という字は、危ういという意味と同時に、機、すなわち「チャンス」という意が含まれております。
会社設立時は、東京五輪の不況からいざなぎ景気に転換する時代で経済・景気も、正に危機からの脱出へ舵を切る状況ありました。
そして本社屋完成時代は第一次オイルショック時でした。
その後、円高不況、バブル崩壊後の「空白の十年」と称する時代もありましたが、創業以来の理念である「常にお客様の立場に立って御満足して頂くためには」の精神を信条として、信頼を築き上げて来ました。時代の変遷は常に好・不好が隣り合わせに襲来する周期です。
この半世紀の会社の沿革や世の変遷が証です。
協和冷熱工業株式会社の社名の「協」という文字を理念に掲げてお客様にご満足して頂くためには、スマイル(和顔)の力、コミュニケーション(愛語・対話)の力、チームワーク(連帯)の力。この三つの力を実践して行く事を努力目標とし、会社のみならず社会に貢献する「人づくり」を使命として考えております。
創業以来、社長をはじめとする社員の研鑚、優秀なる技術と経験、最新の技術をもっての工事・設計・施工を行っております。
今後共、「お客様に御満足して頂くためには」の視点に立ち、不断の研鑚を重ね、お客様のご要望にしっかりと沿うよう邁進していく所存ですので、よろしくお願い申し上げます。
沿革 | 年 | 社会の変還 |
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冷暖房・空調設備工事を主体として設立 | 1966年 (昭和41年) |
いざなぎ景気が始動(高度経済成長が加速) この年不況から脱出 |
1971年 (昭和46年) |
ドルショック(金本位制からの転換) | |
業務拡大に伴い本社屋の完成 | 1974年 (昭和49年) |
田中内閣退陣(金権政治への批判) ニクソン大統領辞任(ウォーターゲート事件) この年、狂乱物価(戦後初のマイナス成長) |
1977年 (昭和52年) |
日米貿易摩擦の勃発 | |
1978年 (昭和53年) |
日中平和友好条約調印 第二次オイルショック |
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アメ横センタービル建設に参入協力 | 1982年 (昭和57年) |
円高不況続く(昭和52年~昭和62年) |
工事部門の拡大に伴い鹿浜営業所を開設 | 1985年 (昭和60年) |
プラザ合意(円高容認) 中曽根内閣の行政改革始動 |
大阪営業所を茨木市に開設 | 1987年 (昭和62年) |
バブル景気始まる (ニューヨーク市場大暴落) |
名古屋営業所を西春町(現、北名古屋市)に開設 | 1992年 (平成4年) |
バブル景気崩壊(東西冷戦の終焉) |
1994年 (平成6年) |
就職氷河時代始まる (平成6年~平成15年) |
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福岡営業所を宗像市に開設する 札幌営業所を開設 |
1996年 (平成8年) |
消費税5%台引き上げ決定 (翌年4月1日よ施行) |
1997年 (平成9年) |
金融恐慌 (GDP23年ぶりマイナス成長) |
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2001年 (平成13年) |
小泉内閣誕生し市場自由主義経済転入(格差社会の拡大) 行政改革の断行 |
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岡山営業所を開設 | 2002年 (平成14年) |
小泉首相訪朝し拉致被害者5人帰国「日朝平壌宣言」 |
2003年 (平成15年) |
就職氷河時代が解消する | |
業務拡大を図るために大阪営業所を吹田市移転 | 2006年 (平成18年) |
日本郵政誕生 (前年の衆院選挙で圧勝-郵政解散といわれた) |
2008年 (平成20年) |
リーマンショック(虚構経済の崩壊) | |
2009年 (平成21年) |
民主党政権誕生(方針や目覚めなき政権) | |
鹿浜営業所を耐震補強を考慮し、新たに社屋移転。業務安全の推行と業務発展を図る。 | 2010年 (平成22年) |
トヨタ自動車のリコール問題の発生 (以後1200日にわたる再生努力で世界一に返り咲く) |
2011年 (平成23年) |
東日本大震災発生 | |
50周年記念式典開催 | 2016年 (平成28年) |
イギリスで国民投票によりEU離脱が決定 |